放射線
 ドイツの気象サービス及びノルウェーの発表では、4月5日から7日にかけて、福島原発からの風が一旦、南に行き、四国・九州にまで南下し、そこからさらに偏西風で日本列島を縦断して、北海道に達すると予想されています。福島から一旦、太平洋に出た汚染物質は、その後、東風でぐるっと回って日本の房総半島、静岡、四国、九州とまわり、山陰から福井まで達します。つまり4月6日頃を中心にして初めて福島原発の汚染物質が西日本を汚染する可能性がありますので、注意が必要です。
  と、福島原発事故に関する緊急かつ重要な情報を頂きました。原子力安全委員会専門委員の武田邦彦氏のページからの転載です。



 私は1回2グレイを25回、合計で50グレイの放射線治療を受けました。

 このグレイという単位はシーベルトとイコールだと考えていいそうですので、局所の癌に対して、50グレイの放射線をかけたということは、50シーベルトの被曝をしたということになります。ミリがとれているので、1000倍となるので、50グレイ=50シーベルト=50,000ミリシーベルト=50,000,000マイクロシーベルトになるということです。
 
 放射線治療のメリットのほうが、被曝やその後の後遺症と比べて、ずっと大きいというデータがあり、乳房温存手術の後、放射線治療をすることがセットになっていますが、原発事故による「放射性物質の飛散」、「大量の汚染水」…連日の報告に、とてもナーバスにならずにはいられません。


 娘が、大学1年のときに、平和学の講義で、被爆者である医師「肥田舜太郎先生」の講義をお聴きする機会に恵まれました。この講義をお聴きした後に提出した娘のレポートを、ふと思い出し、原稿が残っていたので、ご紹介したいと思います。


 平和学の講義で、被爆者である医師肥田舜太郎先生の講演をお聴きする機会に恵まれたことは、私にとって大変貴重な経験となりました。
 原爆投下から63年をへて、被爆者の高齢化は進み、平均年齢は75歳を超えています。多くの被爆者にとって、思い出したくない「あの日」であり、一日たりとも忘れたことがない「あの日」、そしてあの日から63年をどう生きてきたのか、肥田先生は、ご自身の体験を語りながら、私たちに、そして次に地球を背負う世代の人びとへと、熱いメッセージを込めて語ってくださいました。
 自分が生きている間に、何も言うことができずに死んでいってしまった人たちの思い、二度と核戦争を起こしてはいけないという被爆者の思いを少しでも多くの人びとに伝え、原爆の隠されてきた被害、低線量放射能による体内被曝の被害を世界に知らせなければならないという使命感、国民が被爆者を支える運動を大きくしたいとの思いから、90歳を超える高齢でありながら、命ある限り被爆の実態を語り続けようという、肥田先生の生き様に、私は深く感銘を受けました。今、先生の自分史である「ヒロシマを生きのびて」という著書を読んでいます。
 28歳、医師であった肥田先生が原爆投下後に最初にやった仕事は、生きている人と死んだ人を見分ける仕事だったそうです。医者がそれをやる以外に「この人は死んでいる、これは生きている」ということを確かめる人は誰もいなかったからです。被爆者で唯一生きている医者の肥田先生が語る生々しい体験とともに、恐ろしいと強く感じたことは、戦後すぐ、アメリカは被爆者に被爆体験を語ることを禁じ、医者に対しても、診察した被爆者の症状について、仲間同士で相談したり、発表することを禁じる強い圧力をかけたということです。原爆投下から10年間、口を開くことが出来ず、死んでいく人たちを診続けてきた肥田先生は、悔しい思いをされたと思います。直接原爆にあわず、後から被爆地に入って亡くなった人たちも大勢いたそうです。体内に入った放射線が人体を蝕む「内部被曝」の影響だと肥田先生はおっしゃいます。しかし、そのメカニズムを証明する医学はないそうです。解明できるとしたら、被爆国である日本の医師たちに一番可能性があったのに、それをアメリカと日本政府が阻んだのです。
 洞爺湖サミットで、途上国の「原子力発電」の導入を支援する取り組みを進めることが合意されました。「原子力発電所は安全だ」とか、被爆地へ「あとから入って少々の空気吸ったりしたのは、微量の放射線だから心配ない」。これは、アメリカが戦後ずっと世界に宣伝し、国連に嘘の報告をしてきて、国連の国はみんな放射線被害、原爆被害というのは直接ピカッと投下されたのが怖いのであって、そうでないのは心配ないと思っているのが現状だそうです。直接ピカッと被爆していなくても、2週間後に被爆地へ入ってきた全く関係ない人が、大量に血を吐き、お尻から血を出し、血の海の中で死んでいくそうです。被爆してすぐに死んでしまうのなら見当がつきますが、半年後、1年後、5年後、10年後、20年後に死んだら全く関係のないことにされてしまう。こういうかたちで人を殺すのが核兵器であり、放射能なのですが、このことを証明する方法がないそうです。つまり医学で分かる前に人を殺すことだけをやってしまい、未だにそれを明らかにする医学はできていないそうです。
 アメリカが核兵器の被害を隠したのは、どうしても核兵器を持っていたかったからにほかなりません。戦争が終わっても被害は終わらず、30年、60年経ってもまだ人を殺す兵器だとわかれば、クラスター爆弾同様、そんな非人道的な兵器は使ってはいけない、と世界の世論となるはずです。
 核の廃絶を訴えていくためには、過去の原爆の恐ろしさだけではなく、今も続いている放射線の危険性の本質を伝えていく必要があると感じました。
 また、日本はアメリカの言うなりに「お金だけでなく人もだします」と法律まで作って自衛隊をイラクに派兵したり、憲法9条を変えて、軍隊を持とうという動きさえもありますが、今、自分たちの立場でしっかり考えできることをしていく努力をしなければ、90歳を過ぎて、「低線量放射能による体内被曝」の恐怖を懸命に広めている肥田先生のお話をお聴きした意味がないと思いました。

私は大学で法律を学ぶ学生となり、渡辺洋三著「法とは何か」の中で「法をまなぶ者は、つねに、そして第一義的に、法的正義のゆくえを見きわめ、その歴史的変動に注意を払い、時代の法思想をわが物としなければならない。法的正義の問題は、根本的には、『人間の尊厳』にかかっている。人類の歴史は、過去に、数えきれない過ちとおろかしさをくり返してきたとはいえ、また前進と退歩のみちを歩んできたとはいえ、それにもかかわらず、長い目で見れば、『人間の尊厳』を目指す進歩の歴史であった、といえる。法的正義をめぐる、さまざまの闘争も、そのひとつひとつが、『人間の尊厳』をめざす闘いにほかならない。それを、現代という特定の歴史的状況の中で、私たちは具体化しなければならない。そのためには、法をまなぶ者に、広い視野と教養が要請されるのである。」と記されていることをいつも忘れないよう、肝に銘じています。そして、入学後のオリエンテーションでも、宮崎学部長先生が、「法律を学ぶ学生は、幅広い知識と教養を身に付けて、法律的なものの考え方を身につけてください。」とおっしゃっていたことを実践できるよう努力しています。
 高校までの受験勉強中心の勉強ではなく、自分で選択した大学での授業は、本当に毎時間が楽しみで、今までに感じたことのないドキドキ感と興奮で一杯です。殊に月曜の平和学は、毎回が新鮮な感動で、いつも家族や友人など、誰かと語りたくなり、母も私の話を楽しみにしてくれています。肥田先生のお話を祖父にしたところ、肥田先生と共に被爆者運動をしている弁護士の池田眞規先生とは公私ともに親しく、私が以前から訪れたいと願っていた広島へ、池田先生と連絡をとってくれて、原水爆禁止2008年世界大会の日程に合わせて行くことを決めました。
 肥田先生がおっしゃった「学問に励みなさい」「学問と情と結びついて意思となる」という言葉は、私が大学で学ぶべきことを応援してくださるような励みとなりました。

by toco_tax | 2011-04-05 23:54 | 放射線治療 | Comments(0)
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